FACTFULNESS 少子化について

3割くらい読了。
人口問題について書かれた節を読んで、日本の少子化問題について、これまで自分が疑問におもっていた事を解消してくれた。

それと同じタイミングで、女性ひとりあたりの子供の数も減った。極度の貧困から抜け出した数十億の人々は、子供をたくさんつくる必要がなくなった。もう、家庭の小さな農場で、たくさんの子供を働かせなくてもいい。もう、病気で亡くなる子供の分だけ、多めに子供をつくらなくていい。女性も男性も教育を受けるようになると、子供には貧しい思いをさせたくない、もっと良い教育を受けさせたいと考えるようになる。手っ取り早いのは、子供の数を減らすことだ。
ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド. FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1209-1214). Kindle 版.

そういえば以前読んだ「ベーシックインカム」に、昔は子供というのは労働力であり老後の保障でありつまりは資産であったが(もちろん愛情の対象でもあっただろう)、年金や社会保障制度が整備されると、子供の資産性は薄れ、純粋に愛情を注ぐ対象になってきている、というような事が書いてあった(気がする)。

少子化の話になると「こどもを大切にしない社会だから、こどもを作ろうとしない」「保育園が・・・」といったことを問題にして論ずる事が多いように感じるのだけど、大前提のとしてこういう事実があることはみんあ意識したほうが良いんじゃないかなと思う。

してるようなしてないような日本の少子化対策。子供を増やすことよりも、少なくなった子供に教育リソースを集中する、といった事を考えていったほうが良いのではないかと思った。
「労働力」という観点でみると、ものすごく頑張って数を増やす意味はどれくらいあるんだろうか?と考えてしまう。(選択と集中をすべき、と考えているわけではない。)

当然、「子供が欲しい」という気持ちに応える社会というのは、それとはまた別の次元で非常ーに大切なことだ。

ただ、単に「増やす」という観点では、色々考えることが多いんじゃないかと思った。

武器になる哲学 その2

昨日に引き続き「武器になる哲学」の読書感想文。

クルト・レヴィンの「解凍 =混乱 =再凍結 」モデルの流れで紹介されていたウィリアム ・ブリッジズの指摘へのコメント。

キャリアや人生の 「転機 」というのは単に 「何かが始まる 」ということではなく 、むしろ 「何かが終わる 」時期なのだ 、ということです 。逆に言えば 「何かが終わる 」ことで初めて 「何かが始まる 」とも言えるわけですが 、多くの人は 、後者の 「開始 」ばかりに注目していて 、一体何が終わったのか 、何を終わらせるのかという 「終焉の問い 」にしっかりと向き合わないのです 。

まさにアンラーニング。

時間にも体力もそして気力も有限。

自分の何を捨てるかを決めないと本当にマナブ→ワカル→カワル事は出来ない。

これからの時代は現状をズルズルと延命させずにきっちり終わらせて、次に進む事が大事なんだろう。

武器になる哲学

浅野先生がfacebookにアップしていた「 武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50」という本を読み終わった。

刺激的な内容で色々と考えさせられるところがある。感じたことをメモ。

 

「見送っていい常識」と「疑うべき常識」を見極める選球眼を持つということです。そしてこの選球眼を与えてくれるのが、空間軸・時間軸での知識の広がり=教養だということです

山口 周. 武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.167-169). Kindle 版.

なんだかんだ言ってプロローグが一番ガツンと来たかも。あたらしい時代のデザインを学ぶうえでなんで哲学・教養が必要かがものすごくコンパクトにかかれている。

上記で引用した常識に対する相対し方については「Aのことが分かる為にはBやCとの関連性が分からない」ということにも通じ腹落ちした。

アーレントは「分業」という点に注目します。ユダヤ人の名簿作成から始まって、検挙、拘留、移送、処刑に及ぶまでのオペレーションを様々な人々が分担するため、システム全体の責任所在は曖昧になり、極めて責任転嫁のしやすい環境が生まれます

山口 周. 武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1402-1404). Kindle 版.

ホロコーストをアイヒマンがどのよう設計したか。「分担」させることで、自分は全体の作業の一部を担っただけという意識になり、良心の呵責に苛まれないというもの。

怖い話だと思いつつ,

そういった事に限らず、多くの仕事は階層に別れ分担されており、全員が責任を分散しあっているということについて誰しも心当たりがあるように思える。

企業の炎上案件というのもこれと同じ感じで起きているのではないかと思った。だれが見てもヤバイ案件など、どこかで指摘が入りそうなものだと思われがちだが「企画したのは自分ではない」「自分が作ってるだけ」「最終決定するのはクライアント」という意識がどこかで働き、最終的に世に出てしまうのではないか。

他にも色々あるけれど、疲れたので今日はここまで。