「見えてる人」と「見えてない人」

読んでいる本が、業務に直結するような内容のものが多くなってきたため、Kindle Unlimitedで抽象度の高めの本を探して読んできました。
※カバー画像は本書より。

「世の中」と「頭の中」のズレをさまざまな非対称性を用いて説明している本です。
世の中のことだったり、自分のことだったりで少し理不尽さを感じることが多くなってきたので、この本を選んだのだと思うのですが、思った以上に得るものが多かったです。

「見えてない人」からは「見えてる人」が見えない。

特に「見えてる人」「見えてない人」の非対称性については、あたらしい概念を学ぶ際によく感じることなのですが、この本を読むことで頭のなかの整理ができたように思えます。

厄介なのは、自分が「見えてる」か「見えてないか」自分では判断できない、また「わかってないことをわかっている」状態でいようとしても、実際そうできているか自分では判断できないということだと思います。

ただ、自分がある程度「見えている」分野で同業者と数分しゃべればその人がどの程度「見えているか」はだいたいわかる、というのも経験則として持っています。(志向や好みが合う、とかではない。)

なのでメソッドではない概念的なものを学ぶときには「見えてる人」だと思われる人のそばでやってみてフィードバックをもらうか、感じるしかないのでしょう。
いわゆる伝統的な師弟関係というものはこの形なのだと思います。
(師も教えることができないので、気づくまで待つしかない)

現代の学校教育というのは、全生徒が公平・平等に学び評価されることを前提にしているため、こういった師弟関係は成り立たたないのですが、抽象度の高い領域に関しても学校教育と同じモノサシで評価してしまい問題になる、、ということがチラホラあるよなぁと思いました。
(評価する側が学校教育しか知らない=見えてない、状態とも取れます)

他にもいろいろな社会や組織の原則が書いてありましたが、一部については、いま読んでいる「デフレーミング戦略」にあるような個別最適が進む世界でも同じように当てはまるだろうか?と考えたりしました。

投稿者: SHUNSUEKE TSUTSUMI

株式会社ナコード代表。 サービスデザインやUXデザインに関する情報を発信中。