耳を澄ませば

少し前のことだが、朝、庭で猫を遊ばせているときに、お隣さんから「あー美味しかった」という声が漏れ聞こえてきた。

果物かお菓子か、頂き物を食べたのかなと勝手に想像したが、なにかを食べたのか詳しくはわからない。お隣さんは幸せ上手なのだなと、感心してしまった。

神谷美恵子さんの「生きがいについて」を読んだときも感じたが、生きがいや幸せというのは、そんなに大層なものでもないのだろう。

大音量で刺激的な生きがいが溢れていて、小さな生きがいが聞こえなくなっているのではないか。小さな生きがいに耳を澄ますことができる人は立派だなと思う。

と、書いてみておもったが「耳をすます」はと漢字で書くと「澄ます」なのか。
曇った耳では雑音のなかからひとつを聞き分けることはできない、ということか。そういえばアシタカは「曇りなき眼で見定める」と言っていたな。
眼も耳も知らないあいだに曇ってしまい、小さなことがわからなくなってしまうのだろう。

お隣さんはきっと幸せのセンサーが澄んでいるのだろう。

なぜか天声人語みたいになってしまった。

株式会社ナコード代表。 WEBサービスの事業会社や制作プロダクションを経て2018年に株式会社ナコードを設立。 主にWEBサイト・WEBサービス構築の領域で、UXデザインを活かした課題定義やプロジェクトマネジメントの領域で支援をしています。 人間中心設計専門家。