少し前の話なのだけど、インクルーシブデザインの勉強会のメンバーの紹介で、とある障害者支援施設の見学をさせていただいた。
重めの知的障害をもっている方が多く利用している施設で、どのように生活をされているか、どのような支援をされているか実際に施設をまわりながら話していただいた。
仕事がらなのか性格なのか、見学させていただくのだから「なにか役に立たなきゃ」「何か解決しなきゃ」という気持ちになってしまう。
だけど、施設の方に「こうやって興味を持ってみにきていただけるだけでありがたいですよ」と言ってもらい、肩の力が抜けた。
グッドジョブセンターで「とりあえず交流してみては?」と言われたことを思い出し、自分のなかの恐怖のようなものが消えたように思えた。
このやりとりをはじめ見学を通じて、自分が能力、とりわけ経済的な価値をうむ能力の有無でいろいろなものを測っていることに気づく。自分のことも他人のことも。
改めて書くとそんなことは当たり前だと思うのだけど、「能力」ということばの持つ謎のフェアさや説得力、僕自身めちゃそれに囚われてるってことを、障害者や福祉介護の現場に触れると刺激される。
そうでない価値観を持っていないわけではないのだけど、扱い方がわからない、折り合いの付け方がよくわからない、ようなそうな感覚。
インクルーシブデザインに興味を持ったのはそういう複数の価値観の扱いに困っている自分を解決したい気持ちから、のような気がする。
生きているだけで価値がある、と言葉にするのは簡単なのだけど、僕らの社会はそれをベースにできてないよな〜としみじみ思う。